歴史の影とその後と・・・【君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956】
![]() | 君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956 デラックス版 (2008/06/25) カタ・ドボーシャーンドル・チャーニ 商品詳細を見る |
原題は SZABADSAG, SZERELEM、英語タイトルが CHILDREN OF GLORY
邦題はずいぶん文学チックですね。おそらく、東欧の真珠と呼ばれた美しい街ブダペストを愛し、ドナウの流れに悠久の歴史の流れを感じた方のつけたタイトルでしょう。ドナウ、いつかも書いた私の高校時代の世界の恩師は、「ドナウ(ダニューブ)川」といつも表記しておられたことをふと思い出します。ヨハン・シュトラウス2世の有名な楽曲でドナウとして知られる河は、国際的には「ダニューブ」とドイツ発音のほうが知られているようです。
そんなことはともかくも、1956年のハンガリー動乱の時代に、メルボルンオリンピックを目指した水球選手が、「革命」に身を投じていく姿を描いている本作品、なかなかの佳作です。
ちなみに、1956年のハンガリーの出来事を「動乱」と呼ぶか「革命」と呼ぶかは実は大きな差があります。ようするに、市民革命であったのか、反ソ連の暴動であったのか、ということについて現在でも歴史的な解釈の決着がついていない。最近ではいろいろな情報開示が進んで、これを革命と位置づけ、「ハンガリー革命」と呼ぶことも増えているようですが、情報が封殺されてきた長い冷戦時代の間、「西側」諸国では「ハンガリー動乱」と呼んできました。壁が崩壊し、ハンガリー共和国が誕生したのは1989年のことですから、56年の流血事件が歴史的にどう位置づけられるのか、ということは、ある意味これから紡がれるハンガリーの歴史と直結しているのです。
本作はその1956年のハンガリーでの出来事を「市民たちの戦い」と位置づけて、革命として積極的に評価しようとしています。私には実際にどうだったのかはよくわからないのですが、「鉄のカーテン」の時代からすれば、内実を晒すこのような映画が、ハンガリー人の手によって制作できる時代が来たことを、感慨深く感じます。
それほど詳しいことを知っている必要はないと思うのですが、ハンガリーは歴史的には大変苦労の多い国である、ということくらいは頭にいれておいて見たほうがよいかもしれません。大国にはさまれ、国土の分割や民族の分断、二重統治といったアイデンティティの危機に常に晒されてきた地域です。故に「祖国」や「民族」への想いはひときわ強い。こういう物語を観るとき、「日本は単一民族国家だ」といまだにバカをほざく政治家がのさばるような国にいる私たちは、感度が低い、ということは自覚しておいたほうがよいかもしれません。ソ連の衛星国として蹂躙されたという史実だけでなく、そこにいたるまでの苦難の歴史がある。
物語は史実とフィクションを融合させて、「美しい青春時代」と「国家体制の汚さ」を描いていく、秀逸なものに仕上がっています。「ボーイ・ミーツ・ガール」的な安直さはあるのですが、ハッピー・エンドになりえない、というこの重みを、映画としてどう評価するか、というところが難しい。
私自身は、映画はドキュメンタリーではないのだから、事実を事実として伝える以上に、「何か」を描かなければならない、と常々考えています。その意味では、この映画はギリギリのところで成功している。そこで、この文章の書き出しに戻るのですが、それが「CHILDREN OF GLORY(=栄光の子供たち)」というタイトルに込められた思いなのでしょう。
ですから、邦題はちょっとばかり方向が違う。
このあたりが、先述の「感度の鈍さ」かな、と思います。
いずれにせよ、最後の判断は観た方の歴史観などにゆだねられる作品です。








